blogって、自分の主義主張を述べておられる方も多い。
しかし、私は、極力そう言うのは避けてきたつもりである。
そもそもが自己主張なんてものを持たない人間であるし、人に意見を言われればすぐに影響され、言うことも朝令暮改な人間なので。(私を知っている人には異論を持たれる方も多かろうが)
さらに、自分の考えについて他人と議論するのが面倒だと言う意図もあった。
さて、最近はニュースや新聞もまともに目を通していないぐーたら社会人な私ですが、こんな記事を見つけました。
「愛国心は理解出来るがそれをお前に言われたくない」
別に政府に物申す気もないし、人と議論する気もないのだが、ちょっとだけショックを受けたのでそのことの記録として記事をポスト。
何にショックを受けたかと言うと、産経新聞の
愛国心は、どの国の国民も当然持っているものだ。そして、愛国者であることは最大の誇りとされる。
・・・・。
・・・・・・え~っと。
偏ってる引用で申し訳ないが、ホームズを読んでてもルパンを読んでてもポアロを読んでても愛国心が出てくる。
それらには、読んでいてなんら嫌悪感を感じない。
でも、この記事の表現は虫唾が走る。
どうも私は、自分が所属しているコミュニティに対して、愛国心とか、愛社精神とか、そう言うのが苦手なようだ。
心に秘めたり、発露したりするのは勝手だと思う。でも、強要だけはやめてくれ。
愛国者とか、非国民とか言う分類をやめてくれ。
やっぱり、教育では、愛国心とか、正義とかって不必要なのではないかなあ。
どちらかと言うと、愛国心を大事にする人もいるし、そうじゃない人もいる、正義は場合によって違う、と言う多様性を教えることが、本当に必要なことなのではないかと思う。
蛇足としてもう一点。社説の役割について。
私は、ニュースとか新聞には意見とか主観はいらないと思っている。事実だけを公平に伝えてくれれば、後はこっちで判断するよと思う。
まあ、社説は記事とは別に分かれているので、ここで各社論陣をはるのは勝手だと思うけれども。
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TBありがとうございます!
社説ですが、自分が判断を下す記事が他人によって書かれている時点で、自分の判断が偏向的な視点から下される可能性があります。それを避けるには、書いた人がどのような方向を向いて物を考えている人なのか知る必要があります。社説とは、新聞が向いている方向を読者に指し示しておくための指標であり、だからそこでは主張がないとダメだと思うのです。
なるほどねえ。普段は不特定多数の人が書く有象無象を相手にしているので、あまり考えなかったけど、新聞なんかの場合は指標になるんですねえ。
んだよん。「社説」は唯一、新聞社の主観で書いて
いいところ。 読売が右寄り、朝日が左寄りなのは、
有名な話。(彼ら自身も自覚している)
元記事のリンク切れてて、何の話かよくわからんのだが。
でも、トップの見出しとか、社会面とかはかなり
主観入ってることが多いですね。実際は。
かなり思想系が入ってる新聞(特に名指しはしない)だと
トップの見出しに「正義」だの「悪」だのが出てきて
勘弁してほしいと思う。。。
リンク先のblogが引っ越したので、URLを修正しておきました。
この手の教育に関する問題については、誤解を恐れない
表現をすれば、教師に左寄りの人間が多いという点がある。
(「結果的平等」や「連帯責任」とかが出てくるしね)
おいらの高校の社会の先生(ありがち)も、かなりの左で、
日本は安保などさっさと解消すべきだ。 日本から供出
している金など、所詮日本のためには使われていない。
みたいな話を「授業」で話されて、かなり引いた。
(最初は、そういうものかな?と信じそうになった)
歴史認識において太平洋戦争は、明らかに日本の侵略
行為であることは疑いようがないが、しかしそのよう
な戦争であっても、全否定/全肯定の二元論で、すむよう
な単純な問題ではない。
必要なのはflatな視点で物事を伝え、最終的な所は個人
の考えにゆだねるべきだろう。
(その「中立的な視点での教育」については、きちんと
行われているとは言えない。。。歴史の授業では、あまり
そのあたりに触れていないことが多い。(でも触れようと
すると、右寄り/左寄りのどちらかになってしまい、異論
を呼ぶことが多い。(完全な中立があるのかさえ、疑問だが))
そもそも「触らぬ神に祟りなし」で、話題にふれること
さえできていないケースが多いのではないか?と思う。
19世紀中頃から、20世紀前半の日本で行われてきた
ことについては、教科書だけでは、わからないことも多く
結局自分で学ばないと、わからなかった。
「愛国心」についても、戦時の強制的なもの(よく非国民
とかレッテルを貼って、不当な暴力を与えたりするもの)
と、ごく自然に「自分の生まれた国だもん。まあ好きさ」
というレベルのものなのか、教育側の人間にとっても、
誤解を生むことが多々あり、それについて定義しようと
いう動きがあった。それが、この教育基本法の改定だった。
(ただし、改訂する側でも、いろいろな見解の相違、
押しつけがましい点があったのもまた事実だ)
施行にあたっても一部、行き過ぎだったケースが実際にあり
(とある県で、愛国心に5段階評価をつけていた)、それに
対して、政府が首相談話(要は小泉さん)として「国を
愛する気持ちは、自然にそう思うものであって、それに
段階的評価をするような種類の事柄ではない」と至極
あたりまえのコメントを出した。ということがあった。
実際5段階評価って、どうやってつけたんだろう。。。
怖いね。